<内容紹介>
     完全な受け身――
     それこそが自由なのだ
     今から約2300年前の中国で成立したとされる思想書『荘子』は、一切をあるがままに受け入れるところに真の自由が成立すると説く。後の禅の成立に大きな役割を果たし、西行、芭蕉、漱石など多くの人々に影響を与え続けている。僧侶にして芥川賞作家である玄侑宗久が、『荘子』の魅力を存分に語る。







    この間、いろいろなものを片付けていたら、古い走り書きのメモが出てきた。



    「汝(なんじ)人籟(じんらい)を聞くも未だ地籟(ちらい)を聞かず。汝地籟(ちらい)を聞くも未だ天籟(てんらい)を聞かず」
    (汝聞人籟、而未聞地籟。汝聞地籟、而未聞天籟夫)




    何だったっけ、コレ? と思い、調べてみると、『荘子』の一節だった。
    走り書きの裏には、「十二律」がメモってあったから、きっと笛を習っていた頃、ふと見かけた言葉を書き留めたのだろう。

    あの頃は、何かと勉強にいそしんでいた。笛に親しむことで、私は音楽というものに触れ、その正体を知りたがっていた。

    ちなみに、これは「三籟(さんらい)」のことを書いた部分だ。



    三籟
    自然や人間の発する三つの響き。天籟(風の音)・地籟(地上の音)・人籟(人の発する管弦の音)。




    「管弦」というものについて、いろいろと考えていたのだろうな、あの頃の私は。
    今はもう、あんまり興味がないけどね;;

    ま、それで『荘子』というものを思い出した。
    合気道を習っていた時も、「真人」とかで調べたこともあったし、それ以前に漢籍が結構好きで、老荘思想は理解できればといつも思っていたから。
    しかし、老荘は他の思想よりも格段に難しいからなー。
    なんというか、全体的に、言葉で表現できないものをなんとか表現してるって感じで、頭の悪い私には、なんちゅーか、難しいのよ。

    でもね、昔、合気道の妹弟子が台湾の御土産でくれた御守り(彼女は日本と台湾のハーフだった)というのが、大きく「道」と書かれていたもので、

    道教のお守り4

    道教のお守り5

    「道(タオ)」というものは、私にとって必要なものらしいからな。ま、少しずつ勉強しますです。

    道教のお守り1
    (直そうと思って直してない;;)

    道教のお守り2
    (台湾のものだったと思うんだけど)

    道教のお守り3
    (違ってたら、ゴメンなさい;;)

    (御守りは道場の何人かに配られたもので、中身のわからない袋に入ったままの状態で一人一人が選んだ。そこには漢字一文字が書かれていて、その人にとって必要なものが渡るのだとか。他の人のは「仁」とか「智」とかがあった。「仁」や「智」ならわかりやすいのに、私のはわかりづらい「道」。どういうことなんだよー、という疑問は、今でも続いている;;)


    などと、気分が『荘子』で盛り上がっている時に、なんちゅーグッドタイミング、某国営放送局で『100分de名著 荘子』ってのをやってるよ。
    それが結構、面白い。



    100分de名著 5月「荘子」


     制度を整え、競争を煽り、管理や罰則を強めれば社会はうまくいくという考えが主流を占める現代。その考え方に巨大な「否」を突きつける本があります。「荘子(そうじ)」。今から2300年前、中国の戦国時代中期に成立したとされる古典です。5月放送の「100分de名著」では、肩の力を抜き、自然体で生きる術を語ったこの名著を取りあげます。

     「荘子」を書いたのは荘周。宋の国で漆園を管理する役人でしたが、やがて隠遁生活に入った人物です。卓越した才能を買われ宰相になるよう口説かれますが、世に出ることをよしとせず、在野の自由人として生涯を終えました。その背景には「万物斉同」という根本思想があります。姿かたちはさまざまでも、万物はすべて「道(タオ)」と呼ばれる根本原理が変化したものであり、もとより一体であるという思想です。広大無辺な「道」からみれば、ものごとの是非や善悪、美醜、好悪などには本質的な違いなどありません。それなのに、世間の人々は自分の価値観を絶対視し、愚かな争いをやめようとしません。荘周はそうした愚かさから身を引き離して、全てのものをあるがままに受け容れ、「道」と一体化する自在な境地の素晴らしさを説き続けたのです。
     社会が複雑化し息苦しさを増し続ける現代、「荘子」を読み解くことで、様々なしがらみから抜け出し自由になるヒントや、あるがままを受け容れ伸びやかに生を謳歌する方法を学びます。


    第1回 人為は空しい

    【放送時間】
    2015年5月6日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
    【再放送】
    2015年5月13日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
    2015年5月13日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
    ※放送時間は変更される場合があります
    【ゲスト講師】
    玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)

     人間の小賢しい知識が生き生きとした豊かな生命を奪ってしまう「渾沌の死」、機械の便利さにかまけると純真な心を失ってしまうという「はねつるべの逸話」。「荘子」はいたるところで、本来の自然を歪めてしまう「人為」の落とし穴を指摘する。その背景には、「荘子」の「無為自然」の思想がある。人為を離れ、自然の根源的な摂理に沿った生き方こそ、人間の最高の境地だというのだ。第1回では、「荘子」の全体像を紹介しつつ、人間の小賢しい「人為」の空しさと、人為の働かない「無為自然」の素晴らしさを伝える。





    第2回 受け身こそ最強の主体性

    【放送時間】
    2015年5月13日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
    【再放送】
    2015年5月20日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
    2015年5月20日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
    ※放送時間は変更される場合があります
    【ゲスト講師】
    玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)

     周囲に振り回されるマイナスなイメージがつきまとう「受け身」。だが「荘子」では、「片肘が鶏に変化してもその姿を明るく受け止めようとする男」「妻の死を飄々と受け止める荘周」といったエピソードを通して、「受け身」にこそ最強の主体性が宿ると説く。玄侑宗久さんは、こうした境地が「禅の修行」と共通性しているという。「荘子」では、主観や知のはたらきから離れて大いなる自然を受け容れ合一する「坐忘」という方法を説く。これは、坐禅により宇宙大に広がった「我」と「自然」が和した状態と共通するあり方、究極の「受け身」だ。第2回は、「荘子」が説く「全てを受け容れたとき人は最も強くなれる」という「受け身」の極意を禅と比較しながら明らかにする。






    しばらく楽しめそうだな。むふふ。





    夢見た場所






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