で、前記事の続きです。

    三谷幸喜脚本のスペシャルドラマ『オリエント急行殺人事件』第2夜は、犯人の視点から犯行の流れを描くというオリジナル。

    三谷幸喜脚本、『オリエント急行殺人事件』15

    舞台裏のゴタゴタを描くのが好きな三谷幸喜氏らしい着眼点ですね。

    で、観ていて笑ってしまったのが、展開がほとんど『忠臣蔵』になってるってことですね。
    『オリエント急行殺人事件』を、昭和初期の日本風にすると『忠臣蔵』になってしまう

    忠臣蔵 大映

    ・・・・・なんてことは考えたこともなかったので、その点では度肝を抜かれました。

    ネタバレになる(もうなってるけど、一応形式上はバラさないように努めないといけない)ので、また詳しいことは書けないけど、

    「そうか、昭和初期なら蕎麦屋は軽食喫茶なのかー」とか
    「これは、赤穂城明け渡しだよーっ」とか
    「やっぱり、焦れる急進派とかいるんだ」とか
    「分裂、離脱の危機もあるのね」とか
    「おお、これは毛利小平太状態っ!」とか
    「とうとう吉良邸での茶会の日取りが決まった、ってヤツか」とか

    なんて、時代劇好きにはいちいち納得、笑える場面があり、その点でもパロディの三谷幸喜氏らしいと思いました。
    ただ・・・・・・。

    「復讐」を「仇討」に置き換えてる。つまり「殺人」を「正当な報復」に、巧妙にすり替えていくんですね。

    なぜこんなことをしなければならなくなっていくかというと・・・・・


    ここからは私の仮説にすぎないですけど、あえて感じたことを書いていくと、それは犯人に対する共感の気持ちを呼び起こし、原作の結末を視聴者に納得させるためなんだろうと。

    相手がどんな悪人であっても、その人間を殺すことは人間としては許されない。
    どんな理由があっても、人を殺したら償わなくてはならない。

    普通、小説でも映画でもドラマでも、まっとうな作品はこの原則を破ることはありません。
    三谷幸喜氏の代表的ミステリー・シリーズ「古畑任三郎」でも、

    古畑任三郎

    古畑任三郎 

    主人公の警部補・古畑任三郎は、犯人に同情はしても、

    古畑任三郎 中森明菜

    古畑任三郎 菅原文太

    決して自分の職務を放棄するようなことはしませんでした。

    古畑任三郎 すべて閣下の仕業
    (一度だけ犯人の自殺を見逃した例はあるけど。)

    だけどアガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』は、その結末が納得できない人も存在する作品なんですね。

    ということで、時代劇的要素を入れて行くことによって、自然な形(日本人としての情感に訴える形)で視聴者の共感を呼ぼうとしてる・・・・・・・

    と、私は感じました。当たってるかどうかわかんない、というか大外れだとは思うけども。

    で、それが成功しているか、というと、少なくとも私にとっては成功しなかったですね。敵役の被害者のこういう台詞を聴いてしまったから。



    三谷幸喜脚本、『オリエント急行殺人事件』21
    (黒澤明の『天国と地獄』がドラマ化された時、誘拐された側で身代金を払っていた佐藤浩市;;)

    「・・・・母親が流産のあげくに死んじまおうが、父親が拳銃で自分の頭ぁぶち抜こうが、そんなこと知ったこっちゃじゃねんだよ。俺に言わせりゃ自業自得だ。さんざんいい暮らししてきやがって。いいか、世の中にはなあ、死に物狂いで這い上がってきた人間だって(い)るんだ。てぇした苦労も知らないで、贅沢ばっかしやがって。とんがった屋根なんかの西洋かぶれの屋敷さ。犬っころ駆けずり回ってるでっけぇ庭だ? なにがガーデンパーティーだ。はあー、虫唾が走るっ。バチが当たったんだよっ!」



    この台詞のドラマ上の役割は、赤字の部分にあります。

    限りなく怪しいけれど、証拠不十分で有罪を免れた被害者が、油断してボロを出してしまう瞬間の台詞。裁判調書では、誘拐事件のあった家には一度も行ったことがないという証言を残しているのに、なぜその家の外装や内情を知っているのか?
    この台詞が決定打となって、相手が真犯人であることを確信した犯人が、犯行を実行する決意を固めるんですね。
    ついでに、被害者の下劣な本性を視聴者に見せた台詞。
    なんだけども・・・・・・・・

    この台詞で、私は誘拐犯である被害者が普通の人間だということを知ってしまった。世間を恨み、人を憎む気持ちを持っているのは、心が傷ついた経験があるから。つまり、小さな子供を殺したような奴だけどまだ傷つく心を持っている、そんな心を持ち続けて激昂する、どこにでもいる人間なんですよ。

    まだ黒澤映画の『天国と地獄』の誘拐犯レベル(誘拐した子供は殺していない。他の人は殺してるけど;;)。



    「よく見えるさ。どっからだって見えるよ。丘の上にお高く構えやがって。今日はこっちはうだってるんだ」

    『天国と地獄』の山崎努

    「貴方がエアコンの効いた部屋で寛いでいる間、私は自分の部屋で茹だっていたんですよ。夏は暑くて眠れない、冬は寒くて眠れない。こっちは地獄だ。自分の住む三畳のアパートの部屋からは、丘の上の貴方の邸宅が天国のように見えたよ。毎日毎日、丘の上にお高く偉そうに構えている邸宅を眺めていると、あんたが憎くて憎くて堪らなくなったんだ…」


    (舞台は同じ横浜。ここでも相変わらずやらかしてる感のある三谷脚本;;)


    視聴者が「こいつ、殺されて当然」「私だって殺してやりたい」と納得するような人物像というのは、かなりハードルが高いんですね。例えば、「必殺仕掛人」シリーズのナレーションにあるようにそれは「許せぬ人でなし」、つまりもはや人間だとは認められないまさに「人でなし」、360度死角なしというくらいの「人でなし」じゃないとダメなんです。



    ちなみに私が「コイツ、生きてちゃいけない」「私だって殺してやりたい」と心の底から思ったのは、リメイクもされた名作時代劇映画、オリジナルの方の(つっても、オリジナルしか観てないんです、スミマセン;;)『十三人の刺客』の暴君、明石藩主・松平斉韶(まつだいら・なりつぐ。菅貫太郎)ですね。

    十三人の刺客 暴君、明石藩主・松平斉韶(菅貫太郎)
    (↑この人、ただ生きてるそれだけで、毎日死人や被害者が増えてくような人でしたから;;)

    これから下記する話は人からの伝え聴きで、あんまり信用しないで欲しいんですが、自分的には「真実を突いているなー」と思ったんで記しますが・・・・・・・

    この男の理解できない暴君ぶりに、それを演じることになった役者の菅貫太郎氏は、その悩みを脚本家(だか、監督だか?)にこぼしたそうなんですね。そしたらこう答えが返ってきたという。
    「君ね、反省があっちゃいけないんだよ」
    その言葉で開眼して、その後、菅貫太郎氏は日本一の暴君役者になったという・・・・



    反省のない人間・・・・・つまり他者への思いやりや謙虚さなど人間としての基本がない人間、もはや人らしい心を持っていない人間は人間じゃなくなってる。そして人間に対して危害を加えるだけの存在に成り果てる――このレベルまで来て、視聴者もやっと「この人、私だって殺したくなる・・・・」という気持ちになるんですよね。

    でも、それもあくまで自分の心の中に秘めておくべきものであって、特にメディアで流す場合は公式見解となりますから、絶対に「殺人肯定」の立場をとってはならないんです。ミステリーですから殺人事件が起こるのを容認はしても、きっちり否定しないといけない。時代劇にしてもそれは同じで、命の代償は命で支払うことになります。

    『忠臣蔵』の赤穂浪士だって、自首して御裁きは受けてますからねー。もっともそれは、近年は幕府への「あてつけ」だったという説が有力ですが。
    (吉良上野介の首級を亡き君主、浅野内匠頭の墓前に供えた時点で

    忠臣蔵・泉岳寺

    全員切腹していれば、それが完璧に美しい武士の行いだったんですが、それをしなかった。喧嘩両成敗の原則を曲げた幕府(刃傷事件の後、浅野内匠頭は即日切腹し御家は断絶したのに対し、吉良上野介にはお構いなし。さらに老齢とのことで見舞いの言葉さえあった。)に向けて「この武士の鑑たる快挙をどう裁く? この快挙の基となった不公平な裁きを認めることができるか、否か?」と、挑戦状を叩きつけたという考え。)


    このドラマの結末は原作通りなんで、脚本の三谷幸喜氏が悪いってことはまったく全然ないんですが、そこはかとないおかしみやギャグ、そして愛すべき人間像を描くのが得意な三谷幸喜氏がその本領を発揮すればするほど、心の底から笑えなくなってくる。「本当にそれでいいんですか?」と。

    信念の殺人者という存在は、その責任をとる覚悟を持ち、実際にとることで成り立つものだから。

    ま、このドラマは一応決着して終わったけれど、終わった後のことはわからないワケで、視聴者が応援したくなるような善良な犯人であればあるほど、事が終わった時点で徐々に自分で自分を裁く方向に向かうのじゃないかと、浮かないことを考えてしまう私、なのでした。

    十代、二十代の頃は(三十代、でもかな?)、平気でこの作品のような結末を、快哉を叫びながら受け入れてたんですがね。

    ・・・・・・・・・・・・

    ま、原作者が「美人で金持ちが登場したら、それは被害者か犯人」(美人で金持ちは絶対に幸せになれない)と言われた(性格が悪い?)アガサ・クリスティーですからねー(笑)。アガサ・クリスティが悪い! ってことにしときます(クリスティ、あんまり好きじゃないもんな、あたし。← おいおい;;)。

    アガサ・クリスティー
    (功なり名を遂げることで晩年は性格が良くなった・・・・と思いたい;;)


    個人的には三谷幸喜氏には、ミステリーだったらウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins, 1824 - 1889)の『月長石(The Moonstone, 1868)』なんか翻案して貰いたいです。


    盗難事件だけの長編ミステリーで、登場人物たちの手記で順番にお話が展開され、その登場人物たちのそれぞれの個性あふれるおかしみに満ちた様子が、「ああ、ホントに英国、ヴィクトリア朝の小説だよー」と思えるのんびりした物語。最後に登場人物たちとは関係のない遠いところで、悪い奴が謎のインド人にそっと殺されるだけ、って話ですからね。

    ・・・・・・でも、一般視聴者には退屈すぎるな、たぶん(遠い目)。


    ともあれ、三谷幸喜氏には、心の底から笑える設定を守って思う存分活躍していただきたいと望むものです。


    ああ、長々と書いてしまった;;
    みなさま、御退屈さま。










    <商品内容>
     人気ドラマ『古畑任三郎』の5年ぶりのスペシャル版第5弾。海外旅行中にパスポートを紛失した古畑は、再発行の申請のために訪れた大使館で、ある殺人事件に出くわすことに。



    【解説&ストーリー】
     誘拐犯と捜査陣との対決を描いたサスペンス映画の決定版。全編に圧倒的な緊張感が溢れており、中でも日本映画史上に残る身代金奪取の意外なトリック・シーンは圧巻。舞台にとなるこだま号の構造を隅々まで分析してトリックを考案した。実際にこだま号を走らせ8台のカメラを同時に回すというダイナミックな撮影が、この作品を他の犯罪映画とは一線を画したリアルなものにしている。


    Entre le ciel et l'enfer (1963) // Bande-annonce 2 HD (VOSTA)






    【解説&ストーリー】
     明石50万石の藩主を狙う十三人の刺客。中仙道の宿場を舞台に、武士の本質と絡ませながら展開するサスペンス!東映時代劇スター総出演で贈る傑作娯楽時代劇!


    十三人の刺客(プレビュー)






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