作家のダニエル・キイス(Daniel Keyes)氏が亡くなられた。享年86歳。

    その訃報に接して、その昔、氏の代表作『アルジャーノンに花束を(Flowers for Algernon)』を読んで感動したことを思い出した。

    『アルジャーノンに花束を』というのはこういう話↓。



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    アルジャーノンに花束を新版 [ ダニエル・キイス ]
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    【内容情報】(「BOOK」データベースより)
     32歳になっても、幼児の知能しかないチャーリイ・ゴードンの人生は、罵詈雑言と嘲笑に満ちていた。昼間はパン屋でこき使われ、夜は精薄者センターで頭の痛くなる勉強の毎日。そんなある日、彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が、頭をよくしてくれるというのだ。願ってもないこの申し出に飛びついたチャーリイを待っていた連日の苛酷な検査。検査の競争相手は、アルジャーノンと呼ばれる白ネズミだ。脳外科手術で超知能をもつようになったアルジャーノンに、チャーリイは奇妙な親近感を抱きはじめる。やがて、脳外科手術を受けたチャーリイに新しい世界が開かれた。だが、その世界は、何も知らなかった以前の状態より決してすばらしいとは言えなかった。今や超知能をもつ天才に変貌したチャーリイにも解決しがたいさまざまな問題が待ちうけていたのだ。友情と愛情、悲しみと憎しみ、性、科学とヒューマニズム、人生の哀歓を、繊細な感性で描きだす感動の1966年度ネビュラ賞長篇部門受賞作。




    この小説は、知的障害のある主人公の実験経過報告という一人称の形をとっています。なので、語り手の青年の知的状況の変化によって、見事に文体が変わっていく。

    言葉もまともに綴れず、文法も間違いだらけの状態から、天才になって難しい言葉や哲学を展開する状態へと発展し、そして実験の失敗からまた元の(今後はそれ以下と予想される知能の)状態へと変遷するんですね。

    これを見事に日本語の誤字、仮名遣い&文法間違い等として再現翻訳したこの作品の訳は名訳として名高いのですが、同時に編集や文字及び文章校正、そして印刷に関わった方たちも苦労されたと思います。

    文字や文章に関わる仕事に従事する者が紙面を見た瞬間に、秒殺、卒倒するレベルなのでね;;

    だが、その文体が壮絶なまでの悲哀と感動を読者にもたらす。ということで、この作品はSF史上に残る名作として語り継がれているワケです。なんですが・・・・・・。

    その感動の内容がちょっと重たい、というか決してハッピーエンドとは言えないものだ、というのが私の読後の印象でした。
    ま、30年くらい前の話なんで、もうよく覚えていないのですが。

    で、そんなことを考えながら懐かしくなってネット検索をしていて、ついでに日本でもドラマ化されていたことも思い出して、なんとなくそのドラマが観たくなった。

    で・・・・・・つい、一気観してしまったよ;;
    ドラマ・アルジャーノンに花束を2

    いやー、第1話を観てこりゃダメだと思ったらやめようと思いながら結構面白く観てしまい、でも、11話あるから最後までは無理かもな、と思いながら、序盤のいしだあゆみさんの相変わらずのものすごい演技、それが終わると菅野美穂さんの胸が締めつけられるような過去の告白

    アルジャーノンに花束を 菅野美穂の告白

    と、もー、これでもかっ、と私の心を惹きつけてくれましたねー。出演者も演技派揃いで、淡々とした展開でもまったく飽きないし、またそれが楽しめる。

    というわけで、序盤の3話を観た時点で、ま、とりあえず最後まで観ようという気になりました。

    それでもこれは、「マゾ行為に近いよな」という自覚のある私。

    前述したとおり「元の木阿弥(それ以下かも)」といったお話なので、もうこれを11話のドラマで観るということは、かなり厳しい場面を延々と観続ける・・・・ということは想像に難くないワケで、ハッピーエンド好きの私にはまさに「マゾ行為」。自分でも「大丈夫か?」とツッコミを入れながら観たりしてね。

    でも、原作の感動を知っている私は、現代日本(2002年放送)に置き換えたための原作には無い設定、エピソードを観ることで、原作をドラマとして昇華させた「その先を観たいんだよ」という気持ちが勝ってしまったんですねー。

    ドラマは主人公の名前が、藤島ハルとなってまして、本人の説明曰く「ハルはみんなを幸せにします。ハル(春)になるとみんな嬉しいです」という言葉通り、周囲は、日常的に彼のことをいじめたり、からかったりしているんですが、

    ドラマ・アルジャーノンに花束を1

    アルジャーノンに花束を・b

    それでもいつもニコニコしているハルのことを、心から嫌っているワケではない。当人たちは子供の悪戯レベルくらいに思っている。

    ハルはハルで、彼を捨てた母親が別れ際に言った言葉をずっと信じているんですね。「いじめられることもあるかもしれないけど、それはみんながお前のことを好きだから(おまえとお友だちになりたくてそんなことするんだ)」――だから、自分はいつもみんなに愛されているんだと思っている。

    そして、自分を捨てて、道の向こうへと去って行った母親がいつか迎えに来てくれるのを待っている。「ハルがいい子でいたら迎えにくるから」――だから、知能向上の手術も受けたいと思った。利口になっていい子になったら、お母さんが迎えに来てくれると。

    そしてハルの知力は向上し、今まで出来なかったこと(包丁や火を使う料理とか)が出来るようになって

    アルジャーノンに花束を・c

    嬉しい半面、知らなくても良かった事実に気づいて傷つくことが増えていく。

    「お母さんはバカな僕が嫌いで僕を捨てたんだ。僕はそんなこともわからないバカだったんだ」とか「みんなは僕を好きで笑ってたんじゃなくて、ただ笑い者にしていただけなんだ」とか。

    そのうちに誰も信じられなくなり、相手の心をえぐる(半分図星だからまた始末が悪い)ようなことを言って傷つけたり、また、自分よりも知力の低い人間をバカにしたり。そしてそんな自分を「僕はどんどん嫌な人間になっていく」と哀しむことも。

    で、ついには衝撃の事実「このままでは自分の天才的な知力も退化し、元に戻る、いやどうもそれ以下になる可能性が高い」ということが判明して絶望したり・・・・・とまぁ、ドラマもほぼ原作通り、というか予想された展開通りに進んで行きます。

    が・・・・・・・・・・このドラマはココからが凄かったですよ。

    いやー、まさか私がほんのちょっとだけ期待していた「その先を観たいんだよ」が展開されるとは思いませんでした。

    ホントに、このドラマは現代日本に置き換えるための設定の変更はありますが、大筋内容(知的障害者から天才になり、そしてまた元の状態(以下かもしれない)に戻る)は、原作通りと言っていいです。でもね、主人公ハルの生き方に触発された周囲の人たちの善意の発露が半端じゃなくて、主人公の厳しい運命にそれぞれが共に立ち向かおうとしてくれるんですよ。そして何があっても受け入れてくれる。

    これは原作には無かった、というか、主人公の一人称で書かれた小説では当然詳しく描かれることのなかった部分で、そこを楽しめたのは収穫。

    ついでに第10話の最後で、ドラマは原作がほとんど終わったくらいまで話が進んでいたので、まだ46分もある最終話になんか期待してしまったら、その期待通りに怒涛のハッピーエンドになだれ込んじゃうんですねー。

    ドラマ・アルジャーノンに花束を3
    (ほのぼのとした、まさにこんな感じ)

    うーん、これはまいった。

    何しろ「マゾ行為に近いよな」と思っていたのが、まさかの癒し行為になるとは。
    原作の切なくて痛い感動を引きずっていた読者なら、コレを見たらその痛い切なさが癒されますよ。

    そして、これは私だけが思って感じたことにすぎないかもしれないけど、知能障害の人間が天才になり、そしてまたどん底に落とされるという展開は、あのよくある「神は与え、そして奪う」という物語だと思っていたんだけれど、ドラマのハッピーエンドを観て、「なんだこれは、実はまったく何も失われず、努力した分だけ報われたというお話ではないか」と思ったんですね。

    知的障害を持っていた頃のハルは、実は天才になった頃のハルと同じだけのものを持っていたワケです。ただそれを表現する術を持たず、自覚する知力もなかっただけで。彼は知力を得て、それを分析し、認識できるようになっただけなんです。

    だから分析、認識できる知力を失ったとしても、彼の本質は変わらなかった。

    彼は一度も自分を捨てた母親を憎んだことはなかったんです。
    それに気づいた天才の(だけど少し知力の後退し始めた)ハルは、自分がとっくに母親のことを許し、ずっと愛し続けていたことがわかった。
    そして、自分が人を笑わせることが好きな人間だということ、周りの人が幸せそうにしている笑顔を見るのが好きな人間であったことを思い出すんです。

    天才となった今では、知力を失うことは気が狂いそうなほど恐ろしい。でもそれを心が折れそうになりながらも受け止め、残された時間でやっておきたいことをすべてやろうとする。

    アルジャーノンに花束を・e

    たとえ今後その全ての大切な記憶が失われてしまうことになっても。二度と甘い恋の瞬間を思い出せなくなったとしても。

    最後には利口だった時のことをほとんど思いだせなくなっているハル。
    でも努力してずっと「いい子」だった彼には、大きなプレゼントが待っている・・・・・・。

    このドラマは全編を通して「素晴らしい」という言葉が繰り返されます。

    それは純粋無垢なハルを評して教授が言った言葉で、そのちょっと難しい言葉を覚えたハルが、事あるごとに得意げに連発することから始まるのですが、それが周囲に伝染していく。

    そして起伏の多かったドラマを観終わった視聴者の心にも、その言葉が残るのですね。

    結局、どんなことが起こっても、人生は「素晴らしい」ものだということ。

    このドラマから、私はそんなことを感じました。
    間違っているかもしれないけど、私にとってはそれはそれで「素晴らしい」こと。

    一気観はキツかったですが、なかなか良い時間を過ごしましたです。
    もう昔のことになってしまったけど、このドラマの制作者さんたちにお礼申し上げたいですね。

    このドラマは「素晴らしい」です。
    本当にありがとうでした。
















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