いつものお散歩道。

    ちょっと晴れたので、また柊木犀の写真を撮りに行った。

    柊木犀2013/11/4-2

    柊木犀2013/11/4-1

    まだ綺麗。なんだけど・・・・

    柊木犀2013/11/4-13

    すでに散り始めている。

    柊木犀2013/11/4-3

    柊木犀2013/11/4-4

    柊木犀2013/11/4-5

    曇っていた空が明るくなって、落ちた花たちに日が差しても

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    柊木犀2013/11/4-7

    柊木犀2013/11/4-10

    なんか寂しい。

    とか思っている間にも、時雨みたいにちっちゃな花がどんどん落ちてきて、私のパーカーの袖にも乗っかったりして。

    柊木犀2013/11/4-11

    アップリケみたいで可愛いんだけどな。

    柊木犀2013/11/4-12

    でも散り際が綺麗だというのも、凄いことだと思う。
    まだ良い香りもしてるしさ。

    柊木犀2013/11/4-8

    だから最期まで楽しもう。

    柊木犀2013/11/4-9

    しばらくは消えない雪の、小さな白い花を。









    ・・・・「小次郎っ。負けたり!」
    「なにっ」
    「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」
    「だまれっ。なにをもって」
    「勝つ身であれば、なんで鞘(さや)を投げ捨てむ。――鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
    「うぬ。たわ言を」
    「惜しや、小次郎、散るか。はや散るをいそぐかっ」
    という名台詞が忘れられない私なのですよ。ハイ。


     その切っ先から、敵の武蔵が額(ひたい)を締めていた柿色の手拭が、二つに断(き)れて、ぱらっと飛んだ。
     巌流の眼に。
     その柿色の鉢巻は、武蔵の首かと見えて飛んで行った。血とも見えて、颯(さ)ッと、自分の刀の先から刎(は)ね飛んだのであった。
     ニコ、と。
     巌流の眼は、楽しんだかも知れなかった。しかし、その瞬間に、巌流の頭蓋は、櫂の木剣の下に、小砂利のように砕けていた。
     磯の砂地と、草原の境へ、仆れた後の顔を見ると、自身が負けた顔はしていなかった。唇の端から、こんこんと血こそ噴いていたが、武蔵の首は海中へ斬って飛ばしたように、いかにも会心らしい死微笑(しびしょう)を、キュッと、その唇ばたにむすんでいた。
     ああ、巌流佐々木小次郎の散る名場面。


    Two soul -03


    ※ 実は私は役所広司さんの宮本武蔵がかなり好きなんです。てへへ。

    それにしてもさすが(まともだった頃の昔の)NHKのドラマですね。原作に忠実な描写。

     時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。武蔵が生きている間は、なお快(こころよ)しとしない人々が、その折の彼の行動を批判して、すぐこういった。
    「あの折は、帰りの逃げ途も怖いし、武蔵にせよ、だいぶ狼狽しておったさ。何となれば、巌流に止刀(とどめ)を刺すのを忘れて行ったのを見てもわかるではないか」――と。
    ま、以下の名文を生かすためにも、上記の描写は欠かせなかったワケなんですが。


     波騒(なみざい)は世の常である。
     波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚(ざこ)は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。

    長編小説にふさわしい名文の幕切れです(ウットリ)。





    Miyamoto Musashi (1984) - Intro





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